2015/03/19

人としゃべる

コミュ障やコミュ力という言葉を回りで使う人が増えて以来ずっとこの言葉に追い掛け回されてきた
どこに行っても誰と話してもこの言葉が自分を追い掛け回す
前の投稿でも書いたが、この言葉自体はバズワードだと思えど逃れる事が出来ずにいる
流行の単語で各々が各々の定義で使いだす事もあって余計こんがらがる
相手に与える不快感がある閾値を超えなければコミュ障ではないのではなかろうか
逆に与えられた不快感を許容できない人間こそがコミュ障ではなかろうか
円滑に人と意思疎通ができない責任を他人に求め自己弁護を始める事は愚かだ
愚かな考えを外に吐き出したくなる程にこの言葉は僕を縛って逃れられない

人としゃべる、というとその集団の中で意味を持った音を自分の口から相手の耳に届ける事を交互に行うやりとりを指すのだと思う
手話や読唇といった視覚に頼る方法はひとまず置いておく
口から音を出す過程で、意図した音を出せない事が起こりうる
例えば吃音と呼ばれたり、「噛む」或いはアルコール摂取などで呂律が回らない時などを考える
こういった時の周りの反応として、笑いが起きる事が多く感じる
テレビなどで人を笑わせる人たちが間をつなぐためにそうやってカバーしている事を真似しているのだと考えている
そういって笑いに換えられたことによって音を出した人間がその場は乗り気っても後々になって"笑われた"事を恐れ音を出す事に及び腰になり、緊張した状態で音を出すことになりまた同様に意図した音を出せずにといった負の連鎖は何度も見てきた
笑わせるのが仕事の人の真似をして人を笑いものにする事でコミュ障と呼ばれる人間が増えると考えると皮肉たっぷりだ
安易にメタい事をしてはいけない。そんな感じ
プロ意識を持たずメリハリをつけずに舞台に立ち、自分一人ではどうにもならないからと客席の人間や舞台裏の人間等舞台にいない人間の話題をだすと、観客は目新しい情報だから興味を持って注目をしてくれる。
それを繰り返す事で悪循環に
物語で登場人物が作者に文句を言ったり、幕間で登場人物たちに寸劇をやらせるなどといったメタい事をやるネット小説なんかが寒いと言われているのにも関わらず。

話が逸れた
人としゃべるといった行為は
・お互いに意味があると思っている音(言葉)を用いる
・自分が発し相手に伝える
・相手が発し自分に伝える
といった三要素からなっているんだと思う
一部の選民意識からくる、少数からなる集団にのみ通じる言葉を理解できるはずがない相手に対し用い、理解できない相手を蔑むといった行為はコミュ障の極みに違いない
相手に理解されにくい隠語として用いているのなら話は別だが(有名どころだとアンパンやチョコの様に
意図した音が出せなかったときに相手を"いじる"事で笑いを生むことが好きでも、自分が"いじられる"事で笑いが起きる事が許せない人間は意外と多い
相手と自分との間に差を設けているから、つまり選民意識に由来するのではないか
プライドの使い所がそんなちんけな所でいいのか、とも思うけれど彼らの世界ではそのちっぽけなプライドを維持できない事が堪えられないのかもしれない
そういった人達の選民意識やプライドを刺激し過ぎぬように生きて行く人達こそコミュ力があるんだろうなぁと

ルサンチマンにまみれとりとめのない文章
途中で考えが脱線してしまった……。
一年弱人とのかかわりを断っていた経験を元にするなら
・人としゃべらないと人とのかかわり方を忘れる
・コンビニ等で声が出せなくなるのは本当に起こりうる
・人とのかかわり方を忘れて、無理して相手に合せているとその内疲れて何もかもが嫌になって折角できた話し相手すら疎遠になる
はい。
人と話す事って大事なんすよ、ほんと。
何気ない話に付き合ってくれて、一緒にいて気を使う必要のない相手が居たらそれは本当に大事にした方がいいんだと思います
友達かぁ……

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